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東京地方裁判所 平成4年(ワ)14471号 判決

原告

趙樹青

右訴訟代理人弁護士

宇都宮健児

呉東正彦

木村裕二

被告

第一商品株式会社

右代表者代表取締役

村崎稔

被告

吉岡愼二

藤生美佐

右三名訴訟代理人弁護士

肥沼太郎

三﨑恒夫

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金一二六万五五七七円及びこれに対する平成四年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、金二六九万七〇〇〇円及びこれに対する平成四年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、日本に在留する中国人の主婦である。

(二)  被告第一商品株式会社(以下「被告会社」という。)は、東京工業品取引所(以下「本件取引所」という。)の商品取引員として、右取引所の商品市場における金等の売買及び取引の受託等の業務を行っている会社であり、被告吉岡愼二(以下「被告吉岡」という。)は、被告会社の本店営業部次長、被告藤生美佐(以下「被告藤生」という。)は、その外務員であった。

2(一)  原告は、被告吉岡及び同藤生の勧誘を受け、被告会社に対し、本件取引所の商品市場に上場されている金の先物取引を委託し、平成三年一〇月四日から平成四年一月六日までの間に、別紙(一)売買一覧表記載のとおり、合計三七枚の金の売買取引(以下「本件取引」という。)を行った。

(二)  原告は、本件取引を行うに当たり、被告会社に対し、別紙(二)委託証拠金受払一覧表記載のとおり、平成三年九月二八日から同年一二月一七日までの間に、委託証拠金として合計一九六万三七九二円を預託したところ、本件取引の終了時点における帳尻差損金は、別紙(一)売買一覧表記載のとおり、二〇八万二五〇三円であり、平成四年三月一六日、被告会社から、委託証拠金合計二一八万七〇〇〇円(帳尻金からの振替分を含む)から右差損金を控除した残額一〇万四四九七円の返還を受けて精算した。

3  被告吉岡及び同藤生(以下「被告吉岡ら」という。)は、以下の経緯により、原告との間で、本件取引の勧誘、委託契約の締結及び受託業務を行った。

(一) 原告は、夫である趙南元(以下「南元」という。)の研究活動のため来日し、家族滞在との在留資格で一時的に在留している中国人の主婦であって、生活本拠は北京にあり、来日して四年程度で日本語に熟達していない上、商品市場における先物取引についての知識・経験や日本において投機行為を行うのに相応しい経済的基盤も有していなかったから、不適格者であった。

(二) ところが、被告吉岡らは、平成三年九月二七日、原告方に赴き、原告に対し、先物取引の本質である投機性について説明することなく、「金の生産コストは一五五〇円だから、金の値段はそれ以下にはならない。金を一五五〇円台で買えば絶対損にならない。一〇〇〇万円投資したら三〇〇万円の利益になる。」などと甘言・詐言を用い、利益を生ずることが確実であると誤解させるべき断定的判断を提供して、商品市場における金の先物取引の委託を執拗に勧誘し、しかも、不適格者勧誘の事実を隠ぺい・糊塗するため、委託者名義人を南元とすることを勧奨して、本件取引の委託契約を締結させた。

(三) 被告吉岡らは、その後、帳尻金を証拠金に振り替え、さらに追証を拠出させるなどして取引を拡大・継続し、三か月足らずの間に三七枚もの買玉を建てさせ、被告会社として手数料合計五四万〇九四〇円を利得した。この間、平成三年一一月二六日に売買差益の出た時点で原告がいったん仕切ることにし、その旨申し出たにもかかわらず、「今が買うチャンスだ。一五四〇円台になった場合は相場はすぐ戻る。」などと自己の相場観を押し付け、確実にもうかると原告に信じ込ませて、同年一二月中に一七枚の買建玉を実行した。

(四) しかし、金の値段は一五〇〇円を割り込み、事態を心配して相談した原告に対し、被告吉岡が「一六〇〇円くらいになったら全部手仕舞すればよい。あと二一円で追証が必要になるが大丈夫と思う。」などと述べ、被告藤生が「長い期間で見れば一六〇〇円台まで戻してくる。」などと述べたため、そのまま推移し、平成四年一月六日、最安値に近い一四四四円で手仕舞せざるを得ず、原告は前記のとおり損失を被った。

4(一)  被告吉岡らは、原告に対し商品先物取引によって確実に利益を挙げることができるとの虚偽の事実を告げ、その旨誤信させて本件取引を行い、委託証拠金名下に一九六万三七九二円を騙取した。

(二)  また、被告吉岡らの一連の行為は、商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項等により禁止されている不適格者の勧誘、仮名等による売買に当たるほか、商品取引所法九四条一号、本件取引所定款等により禁止されている断定的判断の提供、投機性の説明の欠如に当たり、これら取締法規違反等の態様が全体として社会的に許容される限度を超えているから、違法な取引である。そして、被告吉岡らは、かかる事情を知りながら、原告の未経験・無知に乗じ、相協力して前記行為を行ったものであって、原告に生じた後記損害につき共同不法行為責任を負うべきであり、被告会社は、その使用者としての責任を免れない。

5  原告は、被告らの不法行為により、委託証拠金として支払った金員から既に返還を受けた金員とを損益相殺した残額一八五万九二九五円と本訴を提起・追行するために原告訴訟代理人に委任したことによる弁護士費用八三万七七〇五円の合計二六九万七〇〇〇円の損害を被った。

6  よって、原告は、被告会社に対しては民法七一五条一項に基づき、被告吉岡らに対しては同法七〇九条、七一九条一項に基づき、各自、右損害二六九万七〇〇〇円及びこれに対する不法行為の日の後である平成四年九月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、本件取引の委託者が原告であるとの点は否認するが、その余は認める。右委託者は原告及び南元の夫婦である。

3  同3の事実のうち、原告夫婦が本件取引の当時日本に在留していたこと、被告吉岡らが平成三年九月二七日に原告方に赴き金の先物取引を勧誘したこと、同年一一月二六日の時点で売買差益が生じていたこと、同年一二月中に一七枚の買建玉があったこと、そのころ金の値段が下落し原告が被告吉岡と相談したことは認めるが、その余は否認する。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実のうち、弁護士費用の点は不知、その余は否認する。

6  事情

(一) 被告吉岡らは、本件取引の勧誘に際しては、商品先物取引に関するパンフレット及び資料に基づき、商品先物取引が清算取引であって、商品市場に上場されている商品(金)の相場変動を予測して行う投機取引であることはもとより、取引の仕組み、売買の方法、売買による差損益の計算方法、委託手数料の額、取引の担保として必要な委託証拠金の額及び種類等について説明し、かつ、先物取引の危険開示告知書の内容についても説明した。

(二) 原告夫婦は、右説明に基づき、商品先物取引の危険性を了知した上、本件取引所が定める委託契約準則に従い、自己の責任と判断において、同取引所の商品市場に上場されている金の売買取引を被告会社に委託し、担保として委託証拠金を預託して、自己の意思に基づいて本件取引を行ったものであるから、その結果として生じた損失は原告夫婦に帰属すべきものである。

三  抗弁

仮に、被告らに不法行為責任があるとしても、本件の損害の発生については、原告にも相当程度の責任があるから、過失相殺がされるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二まず、本件取引の具体的な経緯について検討する。

1  請求原因2(本件取引の経過)の事実のうち、本件取引の委託者の点を除くその余の事実、同3(被告吉岡らの行為)の事実のうち、原告夫婦が本件取引の当時日本に在留していたこと、被告吉岡らが平成三年九月二七日に原告方に赴き金の先物取引を勧誘したこと、同年一一月二六日の時点で売買差益が生じていたこと、同年一二月中に一七枚の買建玉があったこと、その後金の値段が下落し原告が被告吉岡と相談したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  以上の争いのない事実と、証拠(〈書証番号略〉、原告本人の一部、被告吉岡本人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下のとおり認められる。

(一)  原告の夫南元は、北京の大学で画像処理関係を教えていたが、昭和六〇年ころ、東京工業大学の研究生として来日し、同大学大学院の修士課程及び博士課程を五年間で終了し、民間会社で一年間研修した後帰国したが、平成二年八月末に再来日し、コンピューターソフトを開発する会社から設備の提供を受けてニューロ・コンピューターのソフト開発の研究に従事していた。原告も、北京の学校で有機化学を教えていたが、昭和六〇年ころ夫を尋ねて一年間日本に滞在し、昭和六二年一一月末に再来日して、東京工業大学の研究室で一年間勉強した後、民間会社でしばらく研究生活を送り、本件取引の当時は、肩書住所地で南元と同居し、家族滞在との在留資格で一時的に日本に在留していた。

(二)  原告は、金の先物取引の知識・経験を有していなかったが、平成三年夏ころ、原告が金の取引に関する被告会社の新聞広告に関心を持ち、被告会社の本店に対し、その資料の送付を請求した。同本店では、外務員の被告藤生が担当者となって電話で勧誘し、自らは日本語を良く話せないという原告の申出により、日本語により堪能な南元の在宅時に訪問して勧誘することとし、被告藤生は入社経験が浅いところから、営業部次長の被告吉岡が同行することになり、平成三年九月二七日、被告吉岡らにおいて、原告方に赴き、原告に対し、二時間余にわたり、次のような説明、応対をした。

(1) 被告吉岡は、先物取引の銘柄として金を勧め、まず、本件取引所において売買する場合と一般小売店で売買する場合との価格差を記載した一覧表を提示し、前者の方が有利であることを説明し、次に、過去一三年間における金の相場の変動と節目となる国際的な出来事を記載した価格推移表を示しながら、金の価格変動の動向と要因等の詳細な説明をした。その中で、金は二次的通貨であると同時に需要・供給の関係や政治・経済の動向にその価値が左右される物でもあり、南アフリカの平均産金コストは一グラム一五五〇円で、概ね現在の東京市場の値段に一致するが、価格下落要因である為替相場の円高だけを重視し、どこまでも値段が下がると思い込むのは早計であり、長い目で見れば底値が切り上がってきているとする自己の相場観を述べた。

(2) 次いで、被告吉岡は、被告会社発行の「商品先物取引―委託のガイド」及び「約諾書及び受託契約準則」なるパンフレットを示して、商品市場における金の先物取引の仕組み、売買の方法、売買による差損益の計算方法、委託手数料の額、取引の担保として必要な委託証拠金の額及び種類等を逐一説明し、これを原告に交付した。右委託のガイドには、商品の先物取引は総取引金額に比較して少額の委託証拠金をもって取引するため、多額の利益となることもある反面、多額の損失となる危険もあること、相場の変動に応じ追加の証拠金を納入する必要が生ずることもあること、追加の証拠金も全額損失となり戻らないこともあることなど取引の投機的性格を特に注意喚起する危険開示告知書が記載され、委託者がこの仕組みを十分理解した上、自己の責任と判断によって行うことが重要である旨も明記されており、これらの内容についても説明を行った。

(3) 被告吉岡らの応対は主として原告が行い、難しい用語はその都度日本語により堪能な南元が通訳してやり、取引数量は五枚でも一〇枚でもいいのかとの原告の疑問については、南元が、二枚からスタートし一度決済してから様子を見ながら二枚建てる方法が良いなどと提言した。南元は、為替相場や経済関係の理解も早く、被告吉岡の説明の途中から割り込むこともあり、一九八七年一〇月一九日ニューヨークの株式市場に端を発したいわゆるブラック・マンデーと称される株価暴落の事例を引用しつつ、コンピューター・ファンド筋がコンピューターの指示に従い、同じソフトで一斉に注文を出すと行き過ぎた値段がつくことがあるが、南元の研究しているニューロ・コンピューターのソフトは、過去のデーターだけでなく、人間の頭脳を工学的に取り入れたもので、そのような場合に対処できる旨の解説をしたりした。

(4) こうして、原告が取引に意欲を示したので、被告吉岡は、被告会社の内規により、取引開始に当たって念のため顧客から徴すべきものとされているアンケート用紙を示し、原告において、南元の氏名・年齢・住所・職業のほか、年収を三〇〇万円、資産状況を現金・預貯金一五〇万円と記載し、さらに、アンケートの項目毎に回答を記入した。これによれば、これまでに商品先物取引を行った経験はなく、相場の変動等によって委託追証拠金や臨時証拠金を必要とすること及び危険開示告知書の内容はよく理解し、担当者の相場観が必ずしも確実でないことも了解しており、売買取引は担当者と相談して判断することとし、被告会社の情報サービスについても説明を受けた旨記載されている。もっとも、取引の仕組みやルールについての理解を問う項目については、当初、否定の答えにチェックしたが、被告吉岡の再度の説明により、肯定の答えに変更した。

(5) 被告吉岡は、委託者の名義人を誰にするかとの原告の質問に対し、南元の名義にしてはどうかと勧め、原告の申出により、契約の締結をなお検討して決めることとし、アンケート用紙のほか、新規委託者用の約諾書及び通知書の用紙を置き、翌二八日に改めて被告会社に持参してもらうことにした。

(四)  原告は、同年九月二八日、いずれも名義人を南元とする約諾書及び通知書とアンケート用紙を持参して、被告会社の本店営業部に赴き、金二枚分の証拠金二二万二〇〇〇円を交付して、被告会社に対し、本件取引所における金の先物取引を委託した。そして、同年一〇月四日、更に三枚分の証拠金三三万三〇〇〇円を差し入れて、二枚買い付け(一枚一五六〇円)、次いで、同月一五日には、指値により三枚買い付け(一枚一五六五円)た後、同月二八日、指値により右三枚の転売(一枚一五九六円)をして仕切り、その売買差金から手数料等を控除した帳尻金八万九五五四円を生じた。同月一五日、被告吉岡が電話で前記三枚の買建玉の成立の事実を報告したのに対し、南元がこれを了承し、自己の研究を生かして相場予測のプロジェクトを被告会社と一緒に行ってはどうかとの提案などもした。同月二五日には、被告会社の調査部の担当者が念のため電話し、南元が、前記買建玉の状況を確認するとともに、金の先物取引の仕組みや委託証拠金には元本保証がないこと、営業担当者の相場観も確実なものでないことについて改めて了解を得た。

(五)  被告会社は、原告の指示により、同年一一月六日、前記帳尻金を証拠金に振り替え、翌六日、追証四〇万五〇〇〇円を受け入れて、同月一四日までの間に指値により一五枚買い付け、同月二六日、指値により右一五枚を転売して仕切り、その売買差金から手数料等を控除した帳尻金一三万三六五四円を生じた。そして、同年一二月六日、右帳尻金を証拠金に振り替え、同月一三日、五枚(一枚一五五五円)と七枚(一枚一五五二円)を指値で買い付け、さらに、同月一七日、追証八〇万二三四六円を受け入れて、指値で五枚(一枚一五四七円)を買い付けたが、原告は、この間、被告藤生と相場の変動等を相談し、それ以上に金の値段が下落することの危機感は特に有していなかった。

(六)  しかし、その後、金の値段は下落を続け、一枚一四七〇円台になったため、原告は、驚きかつ動揺して、同年一二月二六日から同月三〇日にかけ、被告吉岡らに頻繁に電話で対処方法を相談した。被告らは「第一目標として一六〇〇円くらいで全部手仕舞すればよい。」「ここ一、二週間で一六〇〇円台に戻る可能性は九〇パーセントないが、前記買建玉一七枚の限月である平成四年一〇月までには戻してくると思う。」などと助言したが、証拠金の残額が一二万円余しかなく、難平するにしても追証の資金がないところから、原告は、平成四年一月六日、被告会社に指示して右一七枚を転売(一枚一四四四円)して仕切った。本件取引の終了時点における帳尻差損金は二〇八万二五〇三円となったので、被告会社は、同年三月一六日、委託証拠金から右差損金額を控除した残額一〇万四四九七円を南元の預金口座に振込送金して返還した。

(七)  被告会社は、本件取引について、被告吉岡らによる電話報告とは別に、委託に係る建玉の成立又は仕切りの玉の都度、その内容を記載した報告書及び計算書を南元宛に送付したが、原告からはその記載内容について異議の申立てもなく取引が継続された。また、委託証拠金の現在額及び返還可能額、未決済建玉の内訳及びその値洗差金額等を照合・確認するための通知書も毎月一回定期的に南元宛に送付され、右通知書には、取引内容を確認の上同封の回答葉書により指示すべく、これがないときは記載内容に相違がないものとして処理する旨記載されているが、右の指示もなかった。

3  ところで、本件取引の委託者が誰であるかについてみるに、前記認定事実によれば、本件取引は、南元を委託者名義人として行われたが、原告と南元は同居する夫婦で、南元が原告より日本の在留期間が長く、日本語もより堪能であったところから、被告吉岡の勧めにより、右のとおり南元を名義人にしたものであって、その後の被告会社に対する注文、折衝は主として原告が行っており、また、証拠(〈書証番号略〉、原告本人)によると、本件委託証拠金のうち一八六万円くらいを原告が出捐し、その余は南元から交付された生活費を充てたことが認められる。そうすると、本件取引は原告が南元の助力を得ながら行ったものであり、委託者は原告であると認めるのが相当である。

三そこで、被告らの責任について判断する。

1  原告は、まず、被告吉岡らが、商品取引によって確実に利益を挙げることができるとの虚偽の事実を告げ、原告を誤信させて、委託証拠金名下に一九六万三七九二円を騙取した旨主張し、〈書証番号略〉及び原告本人の供述中には、右主張に沿うような記載及び供述部分がある。

確かに、原告は、在留期間が四年程度の中国人の主婦で、商品市場における先物取引について知識・経験を有していなかったことは、前記認定のとおりであるが、被告吉岡らによる勧誘時の具体的な態様は、前記のとおりであって、その際、金の価格変動に関して被告吉岡が相場観を述べた点も、金の先物取引により利益を生ずることが確実であるとの断定的判断の告知であるとまでいうことはできない。また、前記認定のような本件取引の経過にかんがみ、被告吉岡本人の供述に照らすと、被告吉岡らが、原告に対し虚偽の事実を告げて委託証拠金名下に金員を騙取する意思を有していたと認めることも困難である。したがって、前掲各証拠は採用することができず、他に、原告の前記主張事実を認めるに足りる証拠はないから、右主張は採用することができない。

2  次に、原告は、被告吉岡らの行為が取締法規違反等による違法な取引として不法行為を構成する旨主張するので検討する。

(一)  商品先物取引は、少額の証拠金で差金決済による多額の取引を可能にする極めて投機性の高い経済行為であり、商品市場が一般に経済状況の変化等によって短期間に激しい値動きをすることと相まって、当該取引に参入する者に予期せぬ巨額の損失を被らせるおそれがあることは公知の事実である。その売買の決定には、商品の需要・供給の関係、政治・経済の動向等の諸要因に関して相当高度な知識・経験が必要となるから、一般投資家は取引への参入、実行について商品取引員に依存せざるを得ない。商品取引所法の規定及びその趣旨に則り定められた商品取引所の定款、受託契約準則等が種々の法的規制等を加えているのは、こうした観点より一般投資家の保護を図ったものであるから、商品取引員及びその被用者は、右法的規制等を遵守し、商品取引に十分な知識・経験を有しない者が安易に取引に参入することがないよう、また、一般投資家に不測の損害を被らせることがないよう努めるべき高度の注意義務を負っており、これに違反する行為を行い、その態様が社会通念上許容される限度を超えるような場合には、右行為は違法性を帯び、不法行為を構成するものというべきである。

(二)  社団法人全国商品取引所連合会の制定した受託業務指導基準は、委託者の保護育成と受託業務の適正な運営のため、商品取引員において取引所指示事項を遵守すべきことを定めているところ、本件取引所の商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項(〈書証番号略〉)では、不適格者の参入防止の観点から、「商品先物取引を行うのにふさわしくない客層に対しての勧誘」を不適正な勧誘行為とし、また、「委託者に仮名又は他人名義などを使用させること」を不適正な受託行為として、いずれもこれを禁止、さらに、全国商品取引員協会連合会が申し合わせた受託業務に関する協定(〈書証番号略〉)も、「経済知識および資金能力から見て商品先物取引参加に適しないと判断される者を勧誘しないこと」を遵守事項の一に掲げており、被告会社の受託業務管理規則(〈書証番号略〉)は、「主婦等家事に従事し、一定の所得を有しない者」「管理担当班の責任者が、その者の資金力、理解度等からみて商品先物取引を行うにふさわしくないと認定した者」については商品先物取引の委託の勧誘及び受託を行わないことと定めている。

ところで、本件取引の委託者である原告は、研究活動等のため来日し、家族滞在との在留資格で一時的に日本に在留している中国人の主婦であって、在留期間も四年程度にすぎず、商品市場における先物取引についての知識・経験を有していなかったことは前示のとおりであり、また、本件委託証拠金のうち一八六万円くらいを原告が出捐してはいても、前記のような経歴、滞在の経緯等からすれば、原告自身が当時一定の収入を得ていたものかは疑わしく、日本において投機行為を行うのに相応しい経済的基盤は有していたとはいえない。もっとも、前記認定事実によれば、原告は、夫の南元とともに、教職の経験を有する研究者でもあり、ことに南元は、日本の大学の大学院課程を終了し、日本語も原告より堪能であって、その専攻分野から相場にも多かれ少なかれ関心を抱いていたことが推認され、また、原告は、自ら被告会社に対して商品市場における先物取引に関する資料の送付を請求し、南元の在宅時に被告会社の本店営業部の社員である吉岡らの来訪を受けて勧誘に応じ、その後も南元の助力を得ながら本件取引を行っている。しかしながら、南元も、六年足らずの在留期間にすぎず、中国と我が国との社会的、経済的な体制の相違等も考慮すると、南元が、商品先物取引の仕組みや高度の投機性、危険性について原告に的確な助言を与え得る程度の知識・経験を有していたとは考えられず、また、日本に生活の本拠があるわけではなく、その資金能力も年収が三〇〇万円、資産としての現金・貯預金が一五〇万円というのである。さらに、原告本人の供述によれば、原告は、金が掛からず日本の勉強にもなるので新聞やチラシの広告を見て種々の資料を取り寄せていたが、被告会社に対する資料請求もその一環であり、当初から明確な利殖・投機目的を有していたわけではないことが窺われる。

以上のような諸点にかんがみると、原告は、商品先物取引としての本件取引を行うのに相応しくない者に当たるというべきであり、被告吉岡らは、原告がかかる不適格者であることを認識し又は容易に認識し得べきでありながら、前記注意義務に違反して右取引に参入させた上、他人名義で委託契約を締結させ、受託取引を継続したものであって(なお、原告は、被告吉岡らの断定的判断の提供、投機性の説明の欠如の点も取締法規違反の事由として主張するが、前記認定からすれば、それ自体としては採用するに由ない。)、その態様は全体として社会通念上許容される限度を超えるものといわざるを得ない。

(三)  したがって、被告吉岡らが相協力して原告に対して本件取引を勧誘し、取引を拡大・継続して原告に前記損失を被らせた行為は、全体として不法行為を構成する違法な行為というべきであり、右被告らは共同不法行為者として、また、被告会社はその使用者として、各自、原告に対する損害賠償責任を免れないものといわなければならない。

四進んで、原告の損害について判断する。

1  原告が、本件取引を行うに当たり、被告会社に対し、委託証拠金として合計一九六万三七九二円を出捐し、本件取引の終了後、委託証拠金から帳尻差損金を控除した残額一〇万四四九七円の返還を受けたことは前示のとおりであるから、損益相殺によりその差額一八五万九二九五円が被告らの不法行為によって原告に生じた損害というべきである。

2  そこで、被告らの過失相殺の抗弁について検討するに、原告は、先物取引の知識・経験を有さず、在留期間の短い外国人であって、商品先物取引の不適格者であるとはいえ、もとはといえば、自ら被告会社に対し右取引に関する資料を請求したことに端を発した被害である上、教職の経験もある研究者であり、在留期間がより長く、日本語もより堪能な夫の南元と同居し、同人の助力を受けながら本件取引を行い、勧誘時のみならず、その後の取引においても、時として大きな損失を被ることもある先物取引の投機性については説明を受けており、その理解度はともかく、自分なりの一応の判断に基づく取引行為としての一面があることは否定し難い。それにもかかわらず、被告吉岡らの言葉に引きづられ、被告会社から送付される売買報告書及び計算書や残高照合通知書に対して留意することもなく、自ら指値をするなどして取引を拡大・継続し、結果的に損失を招いた原告自身にも過失があり(被告吉岡らが、平成三年一二月中の一七枚の建玉につき限月の平成四年一〇月まで静観する可能性を示唆していたのに、原告が同年一月六日の時点で全部これを仕切り、前記損失を生じた経緯は明らかではない。)、また、同居する夫の果たした役割も被害者側の過失として斟酌すべきである。そこで、以上のような諸般の事情を総合考慮して、原告の前記損害については四割の過失相殺を行うのが相当であるから、被告らが賠償すべき損害額は一一一万五五七七円となる。

3  弁護士費用としては、本件事案の内容、認容額等にかんがみ、一五万円をもって相当因果関係のある損害と認める。

五よって、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自、合計一二六万五五七七円及びこれに対する不法行為の日の後である平成四年九月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり認容すべきであるが、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項に、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官篠原勝美)

別紙(一) 売買一覧表〈省略〉

別紙委託証拠金受払一覧表〈省略〉

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